私の推しは、読書家である。
ステージ上で凛々しくもクールに歌い踊る彼女は、しかしステージを降りると様子が一変する。特典会を訪れるファンに対して、熱のこもった口調でおすすめの本を教えてくれる謎の文学美少女に変身するのだ!
そんな、色々な意味でマジでかけがえのない推しが薦めてくれた一冊。
短編集だが、この記事では表題作について評する。
戦時中の日本を舞台にした、富豪の令嬢である盲目の少女と、その世話役の女性とのシスターフッドを描く物語である。少女は戦火の中で世話役に連れられ、世話役の郷里へと疎開することになる。実はその直後に少女の父は空襲の中で命を落としてしまうのだが、盲目の少女に代わって手紙を読んだ世話役は、少女にそれを伝えない決断をする。最終的には世話役は、ある出来事を契機として大きく体調を崩してしまうのだが、それもまた、少女には悟らせまいとする。盲目の少女は、世話役をマッサージしながら、私が治してあげる、と無邪気に話す。
本作の中では西洋の詩がしばしば思わせぶりに引用されるが、この小説のタイトル「星がひとつほしいとの祈り」から当然に思い浮かぶのは、作品内では直接引用されていない、英国の詩人ジョン・キーツによるソネットであろう。
Bright star, would I were stedfast as thou art.
輝く星よ、あなたのように揺るぎなくありたい。
夭逝した医学生詩人キーツが恋人にあてたこの詩を引用するまでもなく、文学作品の中で「ひとつの星」が言及された場合、まず連想されるのは北極星である。天球にあって、常に動かずに輝き続け、船乗りたちを導いてきたその星は、揺らがないものの象徴である。
世話役は主人公にとっての星でありつづける。しかし、時代に翻弄され、モータルな身体をもつ世話役が、少女にとって揺るがぬ星であり続けられたのは、「触れることはできるが、見ることができない」という少女の有する制約によってであった。この制約によってこそ、少女の父の死や、世話役自身の激しい体調不良は覆い隠され、少女にとって世話役は確かな存在であり続けた。
推しと同じだ、と私は思った。推しはファンにとって、「見ることはできるが、触れることのできない」存在である。どんな人間にもどこか裏側にはどろどろしたものがあるのだろうが、それは表舞台であるステージには直接的には持ち込まれず、ファンはそこに触れることはない。推しがステージの上で輝き続けるのも、この制約があるからなのかもしれない。
精神分析家であり、自身もアイドル的な人気を誇るミュージシャンだった北山修は、心の「舞台裏」について日本文化論の観点から論じてきた。北山によれば、「裏」とは「夕鶴」の物語や黄泉平坂でのイザナミの神話にみられるように、見るなと言われても見たいものなのであった。私だって、推しの舞台裏が気にならないと言えば、嘘になる。
しかし、触れられない。それでいいのだろう。推しが星(スタア)である限り。
推しとは、否、星とは、手を伸ばしても触れられないものなのだから。
私の星は、読書家である。
――名を、葵音琴という。