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トム・ペティが死んだ

トム・ペティ死去。

2日早朝、自宅で心停止状態になっているのが見つかり、病院に救急搬送されたが蘇生もかなわず、息を引き取ったという。ツアーを1週間前に終えたばかりだった。享年66。

マッド・クラッチのベース・ヴォーカリストとしてキャリアをスタートさせ、マッド・クラッチ時代からの盟友、マイク・キャンベルやベンモンド・テンチらと組んだトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズでは、ギター・ヴォーカリストに転向。夢の中を駆け抜けるようなバンドのキャリアの中で、American Girl, The Waiting, Mary Jane's Last Danceをはじめ、数えきれないほどの名曲をこの世に送り出した。

ジョージ・ハリスンボブ・ディランロイ・オービソン、ジェフ・リンと組んだトラベリング・ウィルベリーズでは最年少の弟分として活躍。Handle Me With CareEnd of the Lineでは、再びベース・ヴォーカルを披露している。他にもリンゴ・スタースティーヴィー・ニックスら、数々のアーティストとも共演。

後進にも多大な影響を与えた。レッド・ホット・チリ・ペッパーズストロークスはそれぞれ、トム・ペティの楽曲と「パクリ」ともいえるほどに酷似した楽曲を発表。レッチリの曲を巡っては、あわや裁判沙汰に発展するかともいわれたが、トムは「いまさら僕たちがポップソングを巡って争わなくても、この国は十二分に下らない訴訟で溢れているよ」とコメント。寛容な姿勢を示した。ほかに、テイラー・スウィフトなんかもトム・ペティの楽曲をカバーしている。

アメリカのハートランド・ロックを歌うトムと彼のバンドは、日本にはボブ・ディランの前座を務めたときを含めても2回しか訪れておらず、知名度も「『ジョジョの奇妙な冒険』のトンペティ師匠の元ネタ」程度、一部の音楽ファンが「プリンスがビートルズWhile My Guitar Gently Weepsに載せてすごいギターソロを弾く動画」のヴォーカルとして、知っている程度であった。

一方で、日本にも熱狂的なファンが、幾人かはいた。私もその末席に名を連ねる資格はあると思う。

トム・ペティは、私の憧れだった。私はトムに憧れてハットをかぶり、トムに憧れて片頬で笑い、トムに憧れてギターをブリッジ付近でかきならし、トムに憧れて鼻にかかった歌い方をして、ステージで、スタジオで、ライブハウスで、何度もトムの曲を歌った。

単純なコードで素晴らしい曲が書けること、簡単な道などどこにもないこと、そして、レイドバックでも自分の足で立っていることを教わった。

トムはかつて、自分のバンドの仲間について、こう語った。「こいつらには、なにか特別なところがあるんだ。このグループを、今では宝物のように思っているよ。だって、鎖の輪をひとつ組み変えるだけで、神様はすべてを消し去ってしまえるんだからね」。

私にとっては、トム・ペティ、あなたこそが特別な存在だった。私にとっては、トム・ペティ、あなたの音楽こそが宝物だった。そしていま、神は無情にも、鎖の輪をひとつほどいた。ついに飛び方を学ぶことができたのだろうか、トムはどこか遠くへと飛び去って行ってしまった。トムのステージを生で観る夢は叶わなかった。

トムの南部訛りをもう聴くことができない。

The wild one, forever...